芸能人の裏側を暴露する元芸能関係者のYouTubeチャンネルが人気らしい。
人の不幸は蜜の味。人気の俳優がボロクソに言われているのを見て「ざまあみろ」と思うこと、他人を引きずり下ろすことに快感があるのだろう。不倫した芸人をリポーターが集団で囲むのも同じ。
2年間理不尽に行動制限をかけられ、肉体的にも精神的にもエネルギーは鬱積し、命を守るために言いたいこともやりたいことも抑圧し続けたのだから、極端に守ろうとすれば今度は極端に破壊しないと発散されない。戦争で爆発させるためのエネルギーを行動制限で蓄えさせたんじゃないかと言うと陰謀論だと言われるだろうか。
言うまでもなく他人の不幸を見てストレスを発散させるのはよろしくないが、「エネルギーの発散方法がまずいことになっている」予兆は振り返ればいくつもあった。
例えば論破。数年前からひろゆきがやたらとメディアに持て囃されるようになったが、「極端な例えを出して相手がうんざりするまで屁理屈を言うこと」が論破と言われ、相手を言い負かす姿を見て面白がる。ひろゆき論法を真似る子どもまでいるという。SNSで見ず知らずの人を叩くのも数年前から当たり前になった。
例えば煽り運転。車を運転すると口が悪くなる人は前からいるが、ドライブレコーダーの搭載率が急激に増えたことから考えても煽り運転は実際増えているんだろう。「街中でわざとぶつかってくる人」というのも数年前からニュースになっていた。
最近の大学生に「昔はもぐりで受講する若者がいっぱいいた」と言うと「学費を払っていない人間が受講するのはずるい」と思う学生が一定数いるらしい。「もぐりでわざわざ大学に行くなんて勤勉な人」と思うのが昔の感覚だったが、そういう感覚は消滅したらしい。
これらをまとめると、「人の不幸を笑い、揚げ足を取り、いちゃもんをつけて攻撃する上、他人が得するのは許せないのが今の日本人」ということになり、寛容さも器の大きさもあったもんじゃない。自粛警察も「苦しい思いをして自粛してマスクしてワクチン打ってるのにそれをやらない奴は許せない」だし、コロナ以前からあった「社会的絆の希薄さ」、「生きがいを感じられる経験の少なさ」、「漠然とした不安感」が感染対策に熱狂する要因になったことは以前にも書いた通り。
感染対策に向かった熱狂が、今度は戦争に向かおうとしている。
早期に解決するに越したことはないが、世界を巻き込んで発展していくのならそれは「余剰エネルギーを鬱散させたい」という皆の無意識がそうさせる。避けたい展開なのに無意識にそれを望んでしまうことがないようにするには、一人ひとりが自分の人生を充実させるしかない。
難しいことではない、体を動かすこと、ネットから離れること。まずはここから始めよう。